一年が経ち

前回の投稿から一年が経ったとはてなブログが知らせてくれ、舞戻ればまあ読み応えのある記事がいくつかあり、感心した。残すものだなあ。

一年経った。ずいぶん違った場所にいる。

交わることを主に好んでいたあのかわいらしい獣とは別れ、一年前には出会っていたひとと今は交際している。友人とは言え男たちに囲まれていると、と何の気もなく書いていた中の一人だ。彼らに囲まれていると寂しさはぼやける、と言ったことを書いていたと思う。その通りだった。

だからとて一年前の今頃は今の恋人と恋仲になることはないと思い込んでいた。人生は分からない。

前の彼と目立って違うのは私が今の人と未来を共に歩めたらと考えはすることで、だがしかしキャリアを考えると我々の道が重なり合うのは期限付きに思える。どちらかが大きな決断をしない限り。

人任せに聞こえるが私にはその決断を取ることが出来ない。もし私の考えを変えるきっかけがあるとすれば子を宿すこと、そして私の母もしくは父が命に関わる病に倒れることではなかろうか。私は愛と夢に生かされていて、それらふたつをなるべく均等に大切に扱いたい。愛が傾けば夢は一度置いて支えなければ私は私ではなくなると思う。

私が私であるために選択肢一つ一つを取らなければならない。子や親に関係なく、彼のため一つに母国へ帰ることは私の魂が死ぬように思える。東京はただでさえ恐い街だった。今だって愛している街なのに、恐い街には違いなかった。

何故あんなに人に余裕がないのだろう。そして一週間もいれば私もそれに慣れていた。ひどく苛立つ人々が目の前で右往左往していても心を乱さない術をいとも簡単に思い出し、身なりにより気を付け、異国にいる気の抜けた自分よりも洗練された自分になるべしと背筋を伸ばしていたように思える。それは悪ではなかろうが、完全なる善とも思えない。

私よりもずっと日本人らしい恋人は東京が似合う。けれど彼が東京でより幸せになるかと言うと私はどうも頷けない。より疲弊するだけではなかろうか。疲弊して、その先に何があるのだろう。

私たちは多分ずっと一緒にいることは出来ず、さよならをするけれど、これだけの時を共にし、ベッドに入っても話すことをやめず笑いが止まないような相手と暮らせたことを大切に思い返すだろう。彼と結婚しないとき、他のどんな人と結婚できるのか想像がつかない。結婚でなくてもいい、どんなパートナーと暮らせるのだろう。生活において必要な擦り合わせはほとんどなかった。どんどん歳を取り、凝り固まる互いが他人を受け止め暮らすこと、そのハードルは上がる一方であろうに。いやはや、こまったこまった、、